南米 アコンカグア①

日  程:2022年12月15日~2023年1月6日(山行は12月19日-1月1日14日間)

メンバー:北村

2022年に入りコロナが少しずつ落ち着き始めた春、2023年に8000m峰マナスルに挑戦することを決めた。そのために一人でも比較的安全に高所トレのできる山として、南米最高峰のアコンカグア(6,960m)に狙いを定めた。ミーハーなようだが、昔イモトが挑戦しているのをテレビで見て、「ここにいつか行ってみたい!」と思ったのが一番最初のきっかけだ。ちょうど3年前にアルデのTちゃんが単独で登頂していたので、彼女に情報をもらって、単独での挑戦に向けて準備をした。山行だけでなく、針中野での6300mの低酸素トレを半年間して向かった。

【行動】

◎12/15~18 移動&準備(関空→メンドーサ)

<15日>

出発は関空23:30の深夜発。15時まで仕事をして挨拶もそこそこに慌てて職場を飛び出した。最後の荷物準備を詰め終え、19時に野木さんと妹さんが関空まで車で送迎してくれた。荷物は特大ダッフルバッグ23kgと機内持ち込み用アタックザック7㎏になんとか収まった。これを自力で運んでいたらと思うと本当に助かった。20時過ぎ関空着、21時過ぎチェックイン。最後の日本食をごちそうになり、23:30エミレーツ航空で出発。神戸山岳会のアコンカグアを登る女子Nさんとたまたま同じ出発の飛行機になり、ここからメンドーサまでは二人旅で安心だ。飛行機内ではひたすら寝た。

<16日>

約11時間のフライトでドバイ着、乗り継ぎ2時間50分後にリオに向けて出発。ドバイからはアフリカを突っ切ってリオまで14時間弱のフライト。こんな長いフライトは初めてで、足や腰が痛い。ストレッチしてみたら足がパンパンに浮腫んでる!窓際の席にしてしまったおかげでほとんど動けず、なかなか辛かった…。長距離フライトでは通路側の席をとらないといけないです。

続いて、リオからブエノスアイレスまで2時間50分でアルゼンチンに16日20時到着。荷物も無事。ただ充電ケーブルとアダプタを機内に忘れてきて再購入。カードで6000ペソ…。トイレに行ったら今度はカバンをトイレの中に置き忘れて大慌て!!エージェントに支払う大金が入っている。取りに戻るとカバンがない!ない!!なーい!!!騒いでいたら、警備員さんのところに連れていかれ、さらに女の人のところへ連れていかれ、そこにはカバンが!!!無事に帰ってきて本当にラッキーでしたが、先が思いやられるアルゼンチン初日…。ひとまずビール飲んで、国内線へ移動し仮眠。まわりもゴロゴロと雑魚寝している。

<17日>

チェックインは「スペイン語ワカリマセーン」て顔してたら向こうが英語で話してくれて、なんとか通過。国内線での荷物の超過料金3,199ペソ。飛行機に移動するシャトルバス乗り込みのタイミングが分からずウロウロしてたら、後ろのおばさんが「もっと後ろよ」と教えてくれた。アルゼンチンの人は明るくて人が良いような気がする。メンドーサ行きの飛行機は4列シートの小型だったが、一番前で広くて楽!ブエノスアイレスは木がたくさんある大きな町だった。町の外は大きな平原でパッチワーク模様が続く。農地なのか。途中から砂地に変わる。メンドーサが近づくとまたパッチワーク模様になる。ブドウ畑?町の向こうに白く輝く山並が見える!でも、アコンカグアがどれかは分からなかった。

8:40メンドーサの空港に到着。荷物も無事に到着。空港出口で名前を書いた紙を持ったおじさんがエージェントのINKA社へ送ってくれた。INKA社はかわいい女性が応対し、サービスの確認と支払いを済ませる。よくよく見るとコンフルエンシアとBCはテント・朝夕の食事付き…贅沢しすぎたか。ただ、最終日12/30のテント泊と1/3のホテルは自分で準備することに。これが後々の後悔につながるとはこの時は思わなかった。最後にお姉さんが「明日はワールドカップで町が動かないから明後日出発になります。すみません」と・・・えーーーーー!!!マジですか!!? ・・・結局、どうにもならず。大金も支払って気楽になり、登山パーミットは後でホテルに届くとのこと。そのままホテルに送ってもらう。

ホテルは『Raices Aconcagua』地球の歩き方では4つ星ホテルとかで、とても綺麗。だけどフロント男性の対応が冷たくて「時間が早すぎるから荷物だけ預かる」と。ひとまずさらに身軽になってホテルチェックインの時間まで買い物へ。まずは言葉が不自由すぎるのでスマホが使えるようにSIMカードを買いに行く。カードでいけるだろうとお店Claroに行くと現金のみと言われ、今度は両替屋探し。全然見つからず歩いていたらNさんを発見!彼女はグーグルマップでサクッと両替屋を発見。スマホ使えるとやっぱり強い!二人で十数人の行列に並んでいると通りすがりのおじさんが「カンビオ?」と聞いてきて、別のところへ連れていかれる。行先は「カンビオ?」と連呼するダフ屋みたいな人のところだった。闇両替ってやつで、よく分からず不安なので両替せず、結局元の行列の両替屋に戻って両替。200ドル61,000ペソ(闇両替が1ドル300ペソ)Nさんと夕食時にまた落ち合う約束をして別れる。

さて、肝心のSIMカードは買えたものの、SIMフリー手続きができず。手続きは最後にメールでのやり取りが必要で日本を出る前にしないといけません。ちなみに飛行機移動中は空港でだいたいWi-Fiが使えます。SIMカードが使えず困るのは主には会話の翻訳アプリと移動のグーグルマップ。ただ翻訳アプリもグーグルマップもオフライン使用できるよう事前に日本でダウンロードしておけばSIMカードなしで大丈夫でした。これに気付いたのはもう山の中だった。

13時回ったのでひとまずホテルへ戻り、チェックイン。荷物を部屋に放り込んで、また買い物へ。今度は登山に必要なガス缶・地図・ライター・行動食・水を準備する。ホテルで登山道具屋とスーパーの位置をスクショして飛び出す。無事に登山道具屋でガス缶3,200ペソ×5個、地図2,000ペソ×2個、ライター150ペソ×1個 合計20,150ペソ、カルフールで水2L×3本、行動食(クッキー×4個、ナッツ・干しブドウミックス500g、パウンドケーキなど)合計3,339ペソ購入。重い荷物を抱えて部屋へ戻り、次は夕食。17時過ぎにNさんと落ち合い、ステーキ食べられるところを探す。時間が早いのかまだどこも閉まってる…。二人でステーキ一つ頼むが、美味しい!!!なので、もう一つ注文。サーロインステーキとワインで一人3,000ペソ(チップ込み)日本円で1500円弱と安い。疲労もあって21時頃部屋に戻り即爆睡。

<18日>

4時頃起きてシャワー。おなかペコペコで朝食へ。パン・ハム・チーズ・トマトにフルーツ、コーヒー。フルーツが美味しかった。同じホテルにアコンカグアに向かう日本人パーティ5人組がいた。ご挨拶すると山田淳さんというガイドさんのパーティで、INKA社に頼んでほぼ同じ日程で山に入る予定とのことだった。朝食を終えたら、ペンを買いに町へ行く。8:30と朝早いせいか、日曜だからか、お店はほとんど閉まっている。人もほとんどいないため散歩しやすく気持ちいい。サンマルティン大通りを北へかなり歩いたところで開いている大きなスーパー発見。品揃え良く、たくさんのお客さんが来ていた。色々見ているとついペン以外にもビール・ワインにチーズを買ってしまった。ただ、W杯の試合開始時刻が近づいてきてるせいか、なんだか「早く!」とみんなイラついている雰囲気だった。

ホテルへ戻って荷物を置き、ビールとナッツを持って一番盛り上がっていた場所へW杯観戦に向かう。町中が応援しているのか、あちこちから歓声があがり町全体が揺れるような盛り上がり!サルミエント通りの行こうと思った場所はバリケードが置かれて警察官がいっぱい立ってる!!入ってる人もいるので、行ってみると女性の警官に取り囲まれて荷物チェックされ「グラス?」と聞かれるが、持ってないのでパス。

さて、テレビの前は盛り上がってて、点が入った、入りそうなときは大盛り上がり!!すごい熱気!! 私はちょっと外からビール片手に観戦。チリから来たというノリノリのおばさんに話しかけられ、お互い片言英語で話をする。「気を付けるのよ!」とパンツのポケットのジッパーを閉めるように注意してくれた。ワァワァ喜んでたら今度は若いお兄さん。ブエノスアイレスからアコンカグアのBCでINKA社のコックをしに来たと言う。「えー!?明日から行くよ」と現地での再会を楽しみに別れた。

得点を重ね、終盤もう優勝決定かなと思い、混乱を避けるために一旦ホテルへ戻る。ホテルでも宿泊者がテレビ前で観戦中。ただ同点に戻され、ますますみんな大興奮。喜んだり、頭を抱えたり、見てられないとその辺を歩き回ったり…最後優勝を決めた時には喜び大爆発で抱き合って喜んでた。ユニフォームや旗を持ってテレビと記念撮影タイムに突入。私はせっかくなのでまた町へ。人が続々と集まってきてサンマルティン通りはパレードが始まっている。あちこちで爆竹の音がする。みんな嬉しそうだった。ホテルへ戻ると今度は5月25日通りで車のパレードが始まっていた。こっちもみんな本当に嬉しそう。ただ、もう車は動かず、そりゃ町がストップする訳だ。私はワインとチーズで乾杯。深夜遅くまでお祭り騒ぎは続いた。

 

◎12/19~21 メンドーサ→BC

<19日> 快晴→時々小雨

8:00メンドーサ―11:00ペニテンテス-12:00オルコネス-13:20吊り橋-15:10コンフルエンシア

4時起床。オフラインで使えるようGoogleマップとグーグル翻訳アプリのスペイン語をダウンロードして、帰国時のファストトラック(事前の検疫手続き)をGmailで済ませる。ところが翻訳アプリは肝心の日本語をダウンロードし忘れ、結局この後もBCまで片言英語で乗り切る羽目になった。7時に朝食を済ませ、8時過ぎにホテルを出発。アコンカグアより下山し、帰国する二人組とちょうど入れ替わりだった。

車で3時間ほど行くと11時にINKA社のテント村に到着。女性マネージャーが手際よく説明してくれる。荷物をBC行き(ガス・食料を分けて、20kg以内)とコンフルエンシア行(10kg以内)に分けるようにと言われる。コンフルエンシアはシュラフがいるからねと言われ、厳冬期用をコンフルエンシアへ、念のため寒さ対策で持ってきたペラペラシュラフを今日の泊地ペニテンテスで使うことにする。マネージャーさんに勢いよく「準備はいい?出発できる?」と聞かれたのでよくわからないが「OK」と答えると車で送ってくれた。ただ後で気づくが実は、ここが今日泊まる予定のペニテンテスだった。

車で着いたのは気づいてなかったがオルコネスのレンジャーセンター。建物の中へ入るとパーミットとパスポートを確認される。「ソロか?」「こっちの袋(黒)はゴミ用、こっちの袋(オレンジ)はトイレ用。帰りにゴミはINKA社へ、トイレ袋は〇〇へ(←聞き取れず)出して帰れ」とビニール袋2枚をもらい、入山手続き終了。「いってらっしゃい」と言われて…???今日の泊地ペニテンテスはどこ…???疑問符ばかりだが言葉も不自由なので聞くにも聞けず、一人なので行くしかない。行けど暮らせど泊まれそうな場所はなく…。地図を出して確認すると、ペニテンテスはずいぶん前に通過してしまったことに気付く。言葉も不自由で今さら戻る方法も分からないので、こうなれば明日移動予定だったコンフルエンシアへ行ってしまえ!歩いて3時間ほどだし、W杯での1日遅れも取り戻せる!と気を取り直してスタート。

乾燥した砂礫の山が続く。道には可愛い花がたくさん咲いてて、はるか遠くに雪を乗せた山が見える。むき出しになった地層が作る模様にわずかに生えた草のグラデーションが綺麗。標高3,200mくらいになると少し傾斜が出るだけで息切れする。「ビスタ―リ」と鼻呼吸でゆっくり進む。15:10に大きなテント村に到着。一番近くの小屋でパーミットチェック。スタッフがしばらく無線でやり取りしてたが「OK」と。明日の予定を聞かれ、明日メディカルチェックを受けに来いと言われて終了。

INKA社のテントへ行くとホリーという女性が対応してくれ、テン場・食事場所・水場・トイレなどを教えてもらう。その後、大量のオレンジジュース(1Lくらい)、果物、サラミなどを出してくれる。ジュース・果物・サラミは美味しい!けど、量が多すぎ…。お腹いっぱいでテントで昼寝。マットがぽかぽかで気持ち良かった。時おり雨のパラつく音がした。この山行は高所トレの名目でたっぷりグータラ寝られる!ということに気付き、ちょっと幸せになる。テントが暑くなって出ると外はちょうどいい気温で、日差しがキツイ。眼鏡だと目が痛くなる。鼻の乾燥もひどいのでワセリン塗ってしのぐ。

19時夕食。最初に出たスープに塩気がほしかったので入れたら砂糖だった。でも美味しくなったから良し。砂糖はazucar、塩はsalでした。また大量のオレンジジュースに、メインは豚肉の塊、カボチャ、コールスロー、量が半端なく多くて食べきれず。荷物は届かず、ペラペラシュラフで寝た。

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