南米 アコンカグア③

◎12/27~28 荷上げ・高度順応 C2→C3(キャンプ・ベルリン)

<27日> 快晴→ガス・雪

12:00 C2-15:10 C3-16:10 C2

8時過ぎに起きる。頭痛はさほどでもないが、喉痛・咳・鼻水は相変わらず。どうも咳喘息が悪さをしてそう。黄色い痰も変わらず結構出る。食欲はあまりないが、しっかりと飲む・食べる。朝食はチキンラーメンに乾燥野菜をたっぷり入れて。午前中はゆっくりし、昼からC3への下見・高度順応・荷上げの予定。12時に食料・ガス2缶・ピッケル・ヘルメットを持ってスタート。しんどくて、しんどくてなかなか体が上がらない。休憩ばかりで、アタックなんて想像もできない。完全に高山病にやられているか、食欲もない。

まだかまだかとゆっくり約3時間強進むと、岩のすぐ上がベルリン小屋だった。ちょっと休憩。防水袋に持ってきた食料などを入れて、岩陰に石を重りにしてこの日のミッション終了。下山は1時間かからなかった。当初の予報では28日は暴風予報だったけど、強風でもなんとかいけそうな感じなので、今晩はこのままステイし、明日C3へ上がり、29日にアタックかけることにする。

<28日> 晴れ・ややガスと強風

12:00 C2-14:30 C3

8時起床。唇が日焼けで腫れ上がって痛い。頭も痛い。風はあるが動けそうだ。朝食後はバタバタして薬を飲み忘れる。C3へ持って上がる荷物の仕分けをする。

C3⇒テント一式、防寒具(厚手ダウン、フリース、ダウンパンツ、ダウンシューズ、シューズカバー)、 シュラフ、シュラフカバー、コンタクト、眼鏡、ワセリン、生理用品、Pボトル、ナルゲンボトル、トイレットペーパー、靴袋、マット、貴重品、プラティパス、テルモス、手袋、靴下、小物類など。

C2⇒アプローチシューズ、不要な食料、バッテリーチャージャー、ビニール、服など。…土嚢袋に詰め込みデポ

前日に比べ息は上がるが、ゆっくり登れる。明日は軽荷だしなんとかいけるか。ルートはいろんなトレースがあり、前日と違ってよく分からない。ガスもあって見通せないので遠く感じたが、昨日より40分早く到着。キャンプベルリンでさっさとテントを張ろうとすると、後ろから若いお兄さんが「コレラまで行こうよ。僕の後についておいでよ。」と言ってくれる。デポ探さなあかんし、パッキングも面倒なので断った。一度テントを張ったが、風を避けるため岩場の前に少し移動する。テルモスを置き忘れたと最初の場所に戻るがテルモスはない…。風で落ちていったのか??ないものはないので仕方ない。夕食は親子丼、具を二つにしたら、多すぎて食べれず。高所では7~8割の米の量にするべきだった。味噌汁、クリームシチュー、カフェオレ飲んで、夕日をみて水分摂って寝た。テント内はマイナス5℃。無風。

   

◎12/29 アタック

<29日> 快晴→ガス・雪

1:20起床ー3:10 C3(キャンプ・ベルリン)出発-3:30キャンプ・コレラ-6:30インディペンデンシア小屋-11:30頃?洞窟(ラ・クエバ)…13:30下山開始-17:20キャンプ・コレラ-18:20キャンプ・ベルリン

夜中に咳が出続けて、寝たんだか寝てないんだかよく分からない。咳が咳を呼んで気管支がヒューヒュー言ってた。さて、それでもこの3週間で1番大切な1日だ!やっぱり食欲なくポタージュとコーヒーだけ飲んで出発準備。暑いと感じることはほとんどなし。手が冷たいので、途中マグマカイロを両手に仕込む。

装備 上:ミレーの肌着、バーグハウスの上着、モンベルの化繊ジャケット、パタゴ   ニアのフリース、 緑の厚手ダウン

下:ファイントラック肌着、ダウンパンツ、ノースフェイスのハードシェル、オ         リンポス、エクスペディション用靴下

3:10外はもちろん暗いが、星は満天。アイゼンを装着し、まずはすぐ上のキャンプコレラを目指す。直前に岩場があり、鉄線のフィックスを伝っていくとすぐだった。コレラのテントはまだほとんど動きだしてない様でとても静か。もうヘッドランプの明かりが続いてるかと思ったら、一つもない。一体どっちがルートやら、山に向かうトレースを探しながら、歩く。後ろからガイド+2人の3人パーティとソロの人が来たので道を譲って先行をお願いする。途中で日本人男女2人組にも軽やかに抜かれる。前の二人についていく感じで進む。トイレに行きたくなるが隠れるところなく難しい…。

徐々に明るくなり、朝焼けも始まって絶景が眼下に広がる。しんどいけれどなかなか幸せな時間。いよいよトラバースを越えるとグランカナレータは雪壁、雪渓になっている?これが今日の核心だが、先行パーティはなかなか進まない。おそらくかなりのラッセルだったよう。私もトレースを追うが、なかなか進まない。後ろからはピカピカの高所靴にノーアイゼンな3人パーティが来る。斜度はあるのでうっかりすると滑落リスクもあるため、大丈夫かいなと不安になる。休憩ポイントになる中間部のところまでが息切れでなかなか進みません。

 

11:30頃やっとこ岩の休憩地点に到着するが、手元の高度計では6,560m、まだあと標高差300mくらいの急登が続く。下山のことを考えるとこれ以上は進めないと判断。(実際には地図ではLa Cueva6,650m地点で、残り急登部200m+稜線部140mくらいだった。)

休憩すると頭がボーッとしてすぐに寝てしまう。1時間くらい太陽に焼かれつつ昼寝して、悔しいので少しだけでも進んでみるかと歩き出すが、息切れ半端なくすぐ断念。後続パーティも空荷で行ったりとそれぞれだった。私がのびてる横で岩田京子ガイドがソロで登っていったが、日本人だとは全く気付かず。

13:30下山開始。こんなに長い道のりだったんだなぁとふらふらしながらも慎重に。なかなか遠く、コレラからベルリンに直接戻れないかな、なんて欲張って左寄りのトレースたどっていると、またガスでホワイトアウトし、余計に迷う。「コレラはまだ下」と他の登山者に教えてもらって、なんとかキャンプ・コレラに到着。今度はベルリンへの下り口が見つからずにウロウロしてたら「ニドか?こっちだ」とおじさんに心配された。下り口の鉄線のところからはテントが見えた!もうすぐそこ!!でも足取りはヨタヨタしてなかなか着かない。18:20ベルリンのテントに到着。とにかく疲れた。登り切れもしないのに、おそろしく長い1日が終わった。登り8時間強、下り5時間。コースタイムが登り10時間、下り5時間だからこんなものか。下りはコレラ手前で迷っていたせいか、高山病のせいか。その割にお腹の具合も良くないので飲み食いも十分せず、むしろこれが敗因だったのか。色々浮かぶが、疲労で夕食も五目リゾッタを作るが半分も食べれず。水も作らず寝た。

手袋を外すと指が凍傷になっていた。全く気付かなかったけど、左の薬指に指先が第1関節まで変色している。左は人差し指・中指・小指の指先に、右は中指・小指の指先に痛みがあった。この時はこれが重症だとは気づいていなかった。

 

◎12/30~1/1 下山C3→メンドーサ

<30日> ガス・強風

10:30 C3-11:30 C2-14:15 BC

8:30起床。夜中トイレに間に合わないと、自作Pトイレ使用しバッチリ。頭痛に加えて浮腫みが一気にきて顔がパンパン…。日焼けで唇もパンパンで3倍くらい?になってる。朝食は食欲ないが、カレーメシと玉ねぎスープを食べる。体を回復させるには下るしかない。天気が良くなるとも思えないし、コンディションも昨日ほどには戻らないだろうと、のチャレンジは終了。次を目指してとにかく下ろう!

テント撤収し10:30に下山開始。結局キャンプ・ベルリンはだれも泊まらず一人で優雅なテン場だった。天気はイマイチでガスってて風もあり、29日のアタックで正解。1時間でC2到着しデポを回収。ザックにスリングでくくりつけるが、失敗しバランス悪く重い。今日もヨタヨタしながら歩く。途中何回も荷物をくくり直す。途中見かねたおじさんが「荷物手伝おうか?」と言ってくれたが、なんとか担ぎ下ろす。

14:15、BCに帰ると雪はすっかりなくなっていた。マネージャーに登れなかったと報告し、レセプションをもらうがやはり食べ切れない。テントをトイレ近くに張ると、日本の人がいたので余った食料をもらってもらった。一人は神戸山岳会のNさんの相方でした。Nさんとも再会し、彼女も風邪をひいてニドまで上がったものの、spO2が50%台だったと落ち込んでいた。残ったダイアモックスを彼女に渡し、無理にコレラに上がらずニドからアタックした方がいいと伝える。

夕食はピザ。2枚しか食べれなかったが、お肉がゴロゴロのってるトマトピザを食べた。2つ隣のテーブルのおじさんがサミットしたとお祝いされてる。行きも帰りもすれ違った元気な人だった。明日は下山予定でまた忙しい。左手の凍傷部分は爪の下が水ぶくれになってきていた。夜一度トイレに起きるが、かなり雪が積もっている。下山できるかな。

<31日> BCステイ 雪→晴れ

目覚めたら9時!?今日はメンドーサの町まで下山予定で朝食8時で出発せなあかんのに!と慌てるが19時の見間違い。実際には7時でした。それでも必死で荷物とテントを片付け。外はまだ雪が降ってる。8:20くらいに朝食へ。マネージャーが「ステイする?」と言ってくれたので、お言葉に甘えてステイに変更。テント撤収したのに…。そのまま左手指の凍傷をDr.に診てもらう。ベテランDr.が診察し、すぐにイソジン入りの40℃のお湯につけられた。お湯の中で手指を動かすように言われ、30分ほどお湯で指を温めた。白いクリーム塗られてガーゼ保護。あとは内服薬イブプロフェン、アスピリン、ノイトロピン1錠ずつ。イブとピンクの薬は8時間おきに飲むように出される。若手Dr.からは手を決して冷やさないようにと言われる。 

テント撤収してしまったから、一人ダイニングテントでボケっとする。寒いし、退屈だし、できればシュラフでぬくぬく寝たいところなんだけど…。外に出るとアタックの時に会った日本の人がいたので話すうちに何人か集まり、寒いのでみんなをダイニングテントに引き込んでお茶する。そのままガス持ち込んで年越しそば作ったら、INKA社の人に見つかって怒られ、別のエージェントの料理用テントにみんなで集合。サミットした3人にこれからサミット目指す3人、ワールドワイドな活躍をする20~30代の若者の中に入れてもらい、ポップコーンにナッツ、ラーメン鍋に餅、それぞれが持ってる食料をかき集めてなんとも楽しい年越しになりました。

*YouTubeの“リアルジャーニー【世界1周vlog】”で出てくるご夫婦が、サミットアタック中に私の前にいたお二人で、サミット成功し動画も詳細にあがっています。

<1月1日> 快晴

9:15 BC-15:15コンフルエンシア-17:30オルコネス-17:55ペニテンテス-21:50メンドーサ

快晴の青空の下、下山を開始。空気はひんやりしているものの、雪は昨日に比べて少なくなっている。長い道のりだが、重荷はムーラに預けて荷物は軽い。名残惜しく下っていくと雪はなくなり、どんどん乾燥した夏の砂礫の世界に戻ってきた。19日に入山してから、体調不良や高所との格闘はなんだったんだろうという穏やかなハイキングルートを戻ってきた。最後は同じ場所とは思えない気温差だった。オルコネスでチェックアウトも問題なく登山終了。ペニテンテスで送迎の車を待つ間、同じく山から帰ってきたアメリカのおじさんと話し、「またチャレンジしなさい!」と優しい笑顔で言われた。車で夜遅くにメンドーサのホテルまで送ってもらい、ホテルの部屋に大荷物を引きずり込んで、〇〇日ぶりのお風呂に入りバタンキューでした。

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