メンバー:岩田し、北村、柴谷(記)、会外(森田)
高校山岳部時代から一度は訪れたかったヒマラヤ、45年を経てようやくその機会を得た。
2年前の大阪府岳連主催テンカンポチェ隊は登頂ならず、その時のメンバー2人のリベンジに相乗りする形で、初めてのヒマラヤ登山が実現した。
岩田・森田は3年前の偵察を含めて今回が3回目のテンカンポチェ、森田さんは3度の挑戦を経て2004年にフンチ(7,036m)初登頂も果たしており、北村さんは昨年ホップ~今回ステップ~来年ジャンプでマナスル登頂を目指しており、私だけがヒマラヤ初見参でワクワク。
しかし大阪出発前日に持病の腰痛再発、出発の朝に病院で鎮痛剤を注射して、コルセットを巻いて、30日分の鎮痛剤を処方してもらっての船出。また少し前に痛めた足首が回復しない森田さんはBC守となり、チームに不安を抱えての出発となった。
結果的にはテンカンポチェ(6,482m)山頂には高度差300mを残して届かず、その後ゴーキョ・リ(5,360m) までのトレッキングを楽しんだ。残念ながら目指したピークには至らなかったが、初めての6,000mを体験、高度順応の難しさを実感、長期間を山の中で過ごし、個人的には十分に堪能した納得のネパール遠征だった。
●テンカンポチェ(Tengkangpoche)日程概要 (注:【 】内は柴谷の高度順応状況)
10/4 中部国際空港00:30発~バンコク経由~カトマンズ空港12:25着(岩田・柴谷・森田)
10/5~8 カトマンズ滞在(天候不順でルクラへの出発1日遅延)
・観光局で登山許可証取得、ボダナート(チベット仏教仏塔)にて安全祈願、行動食購入など。
・10/6、北村と合流、野木さんのマナスル登頂祝賀&アマ・ダブラム壮行会。
10/9 晴れ
カトマンズ02:00発~ラムチャップ空港経由~ルクラ09:30着
・カトマンズ空港拡張工事の影響で、ルクラへの便は、7月よりカトマンズから車で5時間かかる
田舎町の空港発着に変更。
ルクラ/2,840m/13:00-タードコシ/2,580m/15:10(ロッジ泊)
10/10 晴れのち曇り(ガス)
タードコシ/08:00-ヤク・カルカ/3,600m/13:00(以降テント泊)
10/11 曇り時々晴れのち曇り(ガス)
ヤク・カルカ/07:00-モロ・ラ(峠)/4,300m/11:50-ルムディン・カルカ/3,900m/15:00
10/12 晴れ
ルムディン・カルカ滞在
・北村・柴谷は高度順応で4,200m辺り迄往復。
10/13 晴れ時々曇り(ガス)
ルムディン・カルカ/08:00-大滝上部/4,700m/13:00-BC直下モレーン上/4,850m/15:00
・大滝を超えるとテンカンポチェがようやく顔を現す。
10/14 晴れ
テン場/08:00-BC/5,100m/09:30
・氷河湖ルムディン湖を見下ろす、テンカンポチェ氷河のモレーン末端にある湖畔にBC設営。
【この夜より夜中の息苦しさと頭痛に悩まされる、夜間の血中酸素飽和度SPO2は48~55】
10/15 晴れ(夜はガス)
これより10/27朝までBC滞在(C1/C2泊を除く)
・4名にて高度順応でテンカンポチェ氷河末端5,250m辺り迄往復。
【この夜も息苦しさと激しい頭痛が続く、座ると楽になれる】
10/16 晴れ
・岩田・北村・柴谷は高度順応でC1/5,700mを目指すが、時間切れで5,450mで引返し。
【この夜は吐き気と激しい頭痛で全く眠れない、夜間のSPO2はずっと55、初めてロキソニンを服用したが、数時間しか効果なく、座ると楽になれる】
10/17 晴れ
・休養日、安全祈願の祈祷(プジャ)を行う。
【この夜も呼吸の苦しさと頭痛で幾度も目覚める、夜間のSPO2は48~55】
10/18 晴れ
・3名は高度順応でC1/5,700mを目指すが、下部岩場が融雪により滝と化しており、そこで引返し。
【変わらず夜は息苦しさと頭痛で幾度も目覚め、ロキソニン服用、夜間のSPO2は常に55】
10/19 晴れ時々曇り
・21日午後~23日は良好だが24日より悪天候が続くとの情報が入り、計画していたC1/C2への
高度順応をやめ、21日/C1~22日/C2~23日/アタックと決める。
・本日夕食後より、岩田・北村・柴谷の3名はダイアモックス250mgを毎日半錠服用とする。
【ここまでも昼間は支障なかったが、BCに入って6日目、ようやく夜中の頭痛が軽減されてきた】
10/20 曇りのち雪
・終日休息、午後より雪となり、翌朝まで降雪が続く。
10/21 雪のち曇り(ガス)
BC/5,100m/8:00-C1/5,700m/16:00
・C1には岩田・北村・柴谷の3名だけが入り、ガイド達はBCへ下る。
10/22 晴れのち曇り時々雪
C1/10:20-C2/6,000m/15:00
・稜線へ上がる岩壁帯は、雪がついたおかげで登り易い。
【この夜、眠りに落ちると呼吸が苦しくなって目覚める事の繰り返しと頭痛でほぼ眠れず】
10/23 曇りのち時々雪
C2/7:20-6,200m地点/10:20-C2/11:30
・C2すぐ上の雪壁からルート工作に手間取る、ブレイカブルクラストの内部がサラサラ雪で、
先行するガイド達はラッセルとスノーバーの設置に時間を要する。
・雪稜/雪壁が様相を変える頂上部まで残り1ピッチの地点で、雪の状態が悪く、風雪も強まった為、ガイド判断で撤退を決める。C2より200m高度を上げており、標高6,200m地点と推察。
10/24 曇り時々雪のち晴れ
C2/7:20-C1/10:50-氷河末端/13:00-BC/14:50
・朝の気温はマイナス25度、視界は良いものの曇天で風が強いが、C1に着く頃には晴れる。
10/25 曇りのち雪
・終日休息、特に午後は非常に寒く、降雪が続く。
10/26 曇りのち晴れ
・終日休息、明日のBC撤収に先立ち、ポーターが一部の荷物を降ろす。
10/27 快晴
BC/5,100m/08:00-ルムディン・カルカ/3,900m/14:00
・BCを離れる日は予報に反して快晴、惜しい悔しい様な、それでも晴れて嬉しい様な。
10/28 晴れのち曇り(ガス)
ルムディン・カルカ/08:30-モロ・ラ/4,300m/11:30-ヤク・カルカ/3,600m/15:20
・最後の夜はガイド達と食事を共にして、焚火を囲んでネパールダンス?に興じる。
10/29 晴れ
ヤク・カルカ/08:20-タードコシ/2,580m/11:10
・全行程終了、北村とガイド達はルクラへ、岩田/森田/柴谷はパクディンへと、南北に別れる。
●行動日誌
ネパール東部の町ルクラ、ここはサガルマータ国立公園の玄関口で、ルクラから北へ続くエベレスト街道と呼ばれる道には、欧米のトレッカーが列をなしている。我々のBCへはルクラから2時間北上したタードコシから西側の尾根を越えるのだが、登山を終えてタードコシに戻るまでの21日間、我々のメンバー以外に人影はなく、静かに景色を独占できるとても良いロケーションだった。
尚、現地ではTengmocheとも称されており、Tengkangpoche/ Tengmocheいずれでも正しい様である。
まずはカトマンズの観光局で入山許可証を取得、テンカンポチェの標高は6,482mで、ネパール5万分の1地図の数値と同じ。2年前の遠征時の入山許可証の記載は6,500mだったが、確認修正されたのだろう。
また仮称/南稜からの登頂記録はない旨を観光局で確認、我々が初トレースできると期待を膨らませた。
ルクラ空港の滑走路長は460m、山中の崖っぷちにあり、滑走路の傾斜を利用して短距離離着陸を行う為、世界一危険な空港としても有名だが、有視界飛行で天候の影響も受け易く、我々も1日出発を待たされた。
現地エージェントとしてJanakchuli Treksを利用したが、代表者ツルさんは前回の府岳連主催時のガイドのリーダーで、日本語も堪能な8,000mサミッター(エベレスト3回、チュオユー3回、マナスル、カンチェンジュンガ)、森田さんの2004年フンチ初登頂も一緒だった仲間。サブガイドのダンクマも前回同行しており、ダンクマは岩田の2012年パルチャモでのガイドだった由。ガイドが日本語を話すと聞いてびっくりしていたヒマラヤ初心者にとっては、心強く感じられた。(2013年に青山学院大学山岳部がアウトライアー峰/現地名Janak Chuli/7,090mに初登頂、その時ツルさんがガイドで、ネパールでは初登頂者だけがその山の名前を社名に使えるらしい)
この両名に加え、ツルさんの仲間でコック等11名が、装備を担いでカトマンズから車と徒歩にてルクラに入り、ルクラでは食糧調達して16名のポーターを雇い入れ、総勢4+2+11+16=33名での出発となった。
カトマンズから持込んだ装備は430kg、ルクラでの買出しとポーターの個装を加えると700kgを超える荷物になった模様。後で知ったのだが、カトマンズからのメンバーは皆タマン族でツルさんの親族だった。
- タードコシ/2,580m~モロ・ラ/4,400m~ルムディン・カルカ/3,900m(キャラバン初日~2日目)
途中ヤク・カルカ/3,600mで1泊して峠を越えてルムディン谷の河原まで。(峠=ラ、放牧小屋=カルカ)
ポーターの荷物は一人30kg、しかも二人のポーターは60kgを担いでいると言う(手当も2倍)。
2年前には積雪でポーターが帰ってしまった峠越えも、今回は支障なく順調だが、残念ながらガスの中。
有効と言われて初めて使ったストックで、逆に肩と背中がコリコリになってしまい、更にルムディン・カルカに近づいた頃、ようやく痛みも緩和されてきた腰にくしゃみで激痛が走り、「ほうほうの体」でルムディン・カルカに到着。北村プロの施術を受けて事なきを得た。
2. ルムディン・カルカ~BC/5,100m(3~5日目)
高度順応でルムディン・カルカには2泊、秋晴れの天気が続き、順調にBCに到着。
東には、Kongde Ri(6,168m)をバックに青い水をたたえた氷河湖、その湖畔の絶景の場所にBC設営。
北には、目の前のモレーンの後ろに、テンカンポチェの山頂と南稜全体が顔をのぞかせている。
南には、大きな氷河湖を挟んでKatang(6,853m)が迫っており、その西はNumbur(6,959m)へと続いている。
Numburから流れ落ちるルムディン氷河とその末端につながるルムディン湖、眼下の湖は地図の倍以上は長くなっており、温暖化による氷河後退が著しい事が良くわかる。
ルクラで雇ったポーター16名はここで業務終了、岩田からチップをもらって笑顔で村へ帰って行く。
3. BC滞在(6~11日目)
BC到着翌日10/15、さっそく氷河末端まで様子を見にモレーン上をたどって高度を上げる。天気も良く、岩田/森田より2年前のC2迄のルートの説明を受ける。この日ガイド達はC1へのルート工作と荷揚げ。
10/16、高度順応で岩田/北村/柴谷でC1往復を目指すが、時間切れで途中にて引返し、登攀具は氷河末端にデポ。ガイド達はC1設営完了。
10/17、大岩に5色の祈祷旗タルチョをかけて、祭壇を作り、安全祈願のプジャを行う。この日は休養日でみな洗濯をし、前日に出現したシャワーテントでぬるま湯のシャワーを浴びる。重い装備となったはずだが、シャワーテントを使ったのはこの日だけ。これに限らず感じた事だが、当地のガイド達は荷物が重たいとか嵩張るとか言った事にはトンと無頓着そう、それがポーターの仕事を生むと言う発想なのだろう。
10/18、高度順応としてC1にて1泊すべくBCを出発するが、10/15に通った下部岩場が滝と化しており、フィックスロープを水中から持ち上げると表面がみるみる氷り、アッセンダーも使えないしシャワークライムになるのは明らか。左手のルンゼから巻けないか偵察するが、ロープ無しでは下降時が危険なので、やむなく引返した。(C2へのルート工作に早発したガイド達も帰路は滝を下る羽目になった由)
10/19、朝からガイドと今後の日程を協議。衛星電話でツルさんのカトマンズの知人より、天気予報として「21日午後~23日は良好だが、24日以降は天気が崩れ26~28日は降雪も」との情報が入り、ワンチャンスだけかもしれないと判断、計画していた高度順応の為にC1/C2で泊まるのは取りやめ、21日/C1~22日/C2~23日/アタックと決める。
3名にむくみが出ており、高度順応も不十分な為、13日に通った大滝の上部迄往復、一時的に高度を下げる。
10/20、明日はC1へ出発と言うのに午後からしんしんと降雪が続き、BC周辺は一面真っ白。
4. アタックへ(12~15日目)
10/21、雪景色のBCを出発、順調に高度を上げ、氷河のセラック帯を通る頃には天気も回復、C1に入る。C1は、南稜の稜線に上がる岩壁帯の直下、氷河上部からの雪崩も避けられる氷河の端に位置する。
先行したガイド3名と高所ポーター1名はC2への荷揚げを終え、C1を素通りしてBCへ戻る。(C1に自分達のテントを上げるよりもBC-C1間だけ多めに動く方が楽と言う発想)
10/22、9:00にC1に上がってくる予定のガイド達の到着が遅れ、C1出発も遅くなる。ここからは体力順に北村/柴谷/岩田の順番で登る。(ガイド達3名は先行しC2設営、サブガイド1名は殿を務める)
C1を出て少し雪壁を上ると岩壁帯に入る、ここからはフィックスロープを使っての登行となる。途中岩壁を左にトラバースしてハングした岩を回り込むとぐっと傾斜が強くなる。逆層のツルツルの岩肌が続いており、2年前には苦労した箇所らしいが、今回は積雪のおかげで楽に登ることができた。それよりも南稜へ出る直下の雪壁にて、ステップがあるにも関わらず、酸素不足か足が上がらず、「吸って吐いて吸って吐いて1歩」の繰返しとなり、いま思えば体力的にはここが一番きつかった。
稜線に飛び出した後はきれいな雪稜が続く。酸素不足なので呼吸と太ももはしんどいが、フィックスロープで安全確保しており、左右スッパリ切れ落ちた雄大な眺めを楽しみながら、徐々にガスが広がり始めた稜線を進み、ややクラストした平なスペースのあるC2に到着。(高所ポーター1名はBCへ下る)
2年前と同じ場所だが、複数の高度計数値よりC2標高6,000mと定める。2年前は一帯が氷面となっていて強風が一晩中続き、ガイドテントではテント内にスノーバーを打込んで皆がしがみつき、森田テントでは靴を履いてシュラフに入り、ナイフを持っていつでも脱出できる体制で夜を過ごしたらしいが、今年はC2の雪の状態は良い。(その2年前、テントの位置によるかもしれないが、岩田/野木テントでは爆睡だった由)
寝て2時間ほど経った頃、誰かに口と鼻を塞がれた様な息苦しさで目覚めてプハーと空気を吸い込む。
またいつもの夜中の酸素不足が始まった。深呼吸をすると楽になり、楽になると眠りに落ち、眠りに落ちると呼吸が浅くなり、すると酸素摂取が減って息苦しく・・・の繰り返し。頭痛もだんだん激しくなってくる。
朝までそれが続き、ほぼ眠れぬ夜を過ごす。(手元にパルスオキシメーターがなくてSPO2値不明)
10/23、5:00出発を予定して朝食を終えるが、風雪強く出発を2時間遅らせる。
前夜ほぼ眠らせてもらえず、「C2連泊は無理、高度を下げよう」とまで思ったが、起きてお湯を沸かし始める頃には呼吸も楽になり頭痛も消えてしまった。
テントの外に出ると上空は曇っているが視界は悪くない。風は少し強く、さすがに気温も低そう。我々3名は7時に外でスタンバイするがガイドの準備が遅れて20分寒い思いをする。ちょっと上の雪壁下までガイド3名が先行して我々3名が続く。前日までにC2から上へ多少のルート工作を済ませておくと聞いていたが、昨日それは出来なかった様で、ダンクマが1ピッチ目のロープを延ばしている。しかし思うようには進まず、1ピッチ目のフィックス作業にも手間取っている様子。
C2からの上部の雪稜/雪壁帯はブレイカブルクラストの状態で、クラストした雪面の中は乾燥したサラサラの深い雪。ラッセルにも苦労していたが、フィックスを張る為のスノーバーの打込にかなり苦労している。
見上げる頂上部は、ここまでの雪稜/雪壁とは様相が異なり、厚く積み重なった雪がいくつもの層を成している様に見受けられる。その境目まであと1ピッチのところでガイド達が立ち止まり、暫くしてツルさんよりここまでとするとの声、雪の状態と風雪が強まってきた事との両方での判断。下にいる岩田にもそれを伝え、フィックスロープで懸垂下降する形でC2へ戻った。
翌日からの天候悪化予想もあったが、岩田/柴谷共にお疲れで、C2にて翌日の再アタックは検討されず。
高度計では引返地点はC2から200m上がっており、標高6,200mと推察。この日BC周辺では降雪。
この夜は頭痛もあまりなく、呼吸が苦しくて目覚めることもなかった。
10/24、朝の気温はマイナス25度、視界は良いが上空は曇に覆われており風も強い。C2を撤収するガイド達に先立って我々3名がまず下る。強風だとフィックスロープと一緒に稜線から左右に振られる事も懸念していたが、その心配もなく順調に下り、岩壁帯への下降点に着く頃にはガイド達も追いついてくる。徐々に天候も回復してきて、岩壁帯の懸垂下降もスムーズに、C1に着く頃には青空が広がった。
氷河末端からは各自のペースでBCへ帰る事とし、モレーンに積もっていた雪も解け、C2から7時間半でBCまで戻る。夕食後のデザートには、登頂成功アップルパイではなく残念パイが出てきた。
5. 下山(16~20日目)
10/25、我々は終日休息、ガイド達はC1撤収に向かう。北村より2日間の好天期待できるなら再アタック希望の提案が出るが、既にC2撤収済でC1も撤収中で無理とのツルさん返答。天候次第なので可不可は別にしても、C2で再アタックの会話すらなかった点を反省、(フィックスロープの固定はできなかっただろうが)せめて最後の雪壁の取付迄あと少し上がるべきだったと悔やむ。
昼前から再び雪が降り始め、夜半まで降雪が続く、BC滞在中で一番寒い1日だった。
10/26、C1付近でルート工作の練習を予定したが、昨日の降雪で断念。北村のみボッカトレに出発。
翌日のBC撤収に備えて一部の荷物を下ろしに出たサブガイドのチリンが悲壮な顔で戻ってくる。右手中指が第2関節で60度ほど外側へ曲がっている、荷物に振られて手をついてしまった様で、幸い骨折ではなく脱臼の模様。まだ声の聞こえるところにいた北村を呼び戻し、患部の固定をしてもらう。
10/27、雲一つない快晴。この天気で今がC2なら再アタックしたいと後ろ髪を引かれつつ、2週間滞在したBCを後にする。下山時にはルクラから8名のポーターを呼んでいるそうで、10/13の4,850mの幕営地迄はツルさんチームだけで荷物を下ろす。ルムディン湖の近くまで下るとテンカンポチェ全体が再び現れて、全員で記念撮影。大滝を下り、ルムディン・カルカに戻る。
10/28、モロ・ラへの登りで遠くなったテンカンポチェと最後のお別れ、モロ・ラを越えて東側を望むと、サガルマータ=エベレストが初めて確認できた。ヤク・カルカに到着してもテント等の荷物が届かず、ガイド達と焚火を囲んでバター茶を飲んでポーターを待つ。昨日来たポーターは6名だけで、2名は倍の荷物を担ぐらしいが、往路と比べて非力なのか、ポーターがヤク・カルカに現れたのは日暮れ直前だった。
最後の夜は、我々とガイド達とがキッチンテントに集合して、一緒にダルバートを食べ、地酒のロキシーやチャンやムスタン珈琲(ロキシー+ラム酒+珈琲)を飲み、外で焚火を囲んでネパールダンスに興じる。
我々も参加して踊るが、ふと気がつくとガイド達で踊っているのは中高年、若者は離れてスマホを見ている。(ガイド達のスマホはヤク・カルカでも通じたが、私が買ったSIMカードでは通じなかった)
10/29、タード・コシの茶店にてコック最後の仕事で昼食を頂き、全工程終了。
トレッキングに移る岩田/森田/柴谷は北へ、明朝便でカトマンズへ戻る北村とガイド達は南へ、またの再会を願って別れた。
●テンカンポチェ山行を終えて
・初のヒマラヤ、やはり高度順応に苦労したなと言うのが一番の感想。C1から上部の岩壁帯~雪稜はこれが3000m級なら自分達でロープを延ばして楽しい雪山だろうなと言う印象だが、高度には悩まされた。
事前に6週間、大阪市内で6,300m相当迄の常圧低酸素トレーニングを行い、一定効果はあったのだろうが、BC/5,100mでは順応するのに6日を要した。昼間はほぼ問題はないが、睡眠中は呼吸が浅くなり夜間の血中酸素飽和度低下が大きく、まるで誰かに口と鼻を塞がれたかの様に息苦しくなって目が覚める繰返しとなったのが一番辛かった。それに伴う頭痛もあった一方、咳が出ることはなく、むくみもひどくはなかった。また、高度の影響か否か良く分からないが、毎夜5-6度は小用に立つ羽目になった一方、(C2前後を除いて)便秘に悩まされ続けた。下界で日頃のバイタル値は血圧85-90/55-60・心拍数55程度で、標準的な数値より低いが、高度順応と関係あるのだろうか。
・天候次第とは言え、また疲れからなのだろうが、C2に戻った時に再アタックに思いが至らなかったのは、残念な反省点だった。
・C1とC2では我々とガイド達が同じものを食べる前提で、軽量化を目指した食糧を日本から持ち込んだが、その多くは消費されなかった。当初計画していたC1/C2泊での高度順応を省略した事もあるが、ガイド達に渡したそれらの食糧はほぼ手つかずで、事前に彼らの意向も確認して手配すべきであった。
・荷揚げ・ルート工作・テント設営・食事・その他諸々、全てエージェントが準備した上に乗って過ごした感があるが、これが今のネパールでは標準的と聞く。軟弱な様でもあるが、自分の中では十分に堪能できた山行であり、安全・体力・実力・経験を鑑みてこれで良かったのだろう。
・それと、3週間毎日同じテントで同じメンバーで朝夕の食事をした、いつも4人揃って。(C1/C2では3人)日本に居たら家族でもあり得ない事で、それでも揉め事もなくマッタリと過ごせた、良い仲間でした。
・日本に帰国すると、出発前に比べて体重が5kg減っていた。テンカンポチェ下山から帰国までの10日余りは食べたいだけ食べていたので、下山直後はもっと減っていたと思われ、おかげで体内脂肪も燃やせた様だ。また、行動中から気づいていたが、爪や髪の毛もあまり伸びなかった。高度による影響を色々と実体験できた初遠征でした。