マナスル

日  程:2019年月9月4日-10月2日

メンバー:野木

登山メンバー
シェルパ
BC
C1へ
C1へ
C1
C1
C1からC2
C1からC2
C2から
C2からC3
山頂

9月3日(火)

早朝5時半、友人の北村さんが車で関空まで送ってくれる。荷物は3つ。機内持ち込みに重たい靴などをつめ、預け荷物は2個29.5キロ(2個で30キロまで無料)。今回の遠征をお願いした日本側のエージェント、ケイランドの小林さんと合流、キャセイパシフィク航空9時発に乗る。香港トランジット5時間半、カトマンズ空港には21時半到着。日本との時差は3時間15分。ヴィザを取得し、迎えに来ていた現地のエージェントのGlaciaのデンディさんと会い、FUJIホテルに入ったのは23時前、長い旅だった。

9月4日(水) 曇り時々雨
 疲れているはずなのだが、いつもながら5時には目が覚める。寝違いをしたのか首が痛い。6時半にデンディさんが荷物を一つピックアップに来る。20キロほどの荷物、BCから上でしか使用しない衣類、登攀装備を先にキャラバンで運ぶためである。

午後は、デンディさんと小林さんに登山靴を探しに買い物に付き合ってもらう。スポルティパ オリンポス600ドルでベストサイズを購入。18時半から2時間ほどネパール登山協会らしきものの集いを見学。登山関係者が集まり、安全に公募登山を運営するための意見交換、総会らしい。今年は、エベレストで多くの人が無くなったので、公募登山募集要件が厳しくなるようだ。また、インド人が3人サミットしていないのに登頂したとの虚偽の申請を行ったことについても話されているらしい。山を知らない旅行会社が、8000m以上の公募登山を出すことも問題視されているそうだ。デンディさんは、集い後のラディソンホテルのビュッフェ料理と飲み放題のアルコールを私たちといただきたかったようだが混んでいたので断り、日本食レストランで夕食をとりホテルにもどる。

これから一緒に行動する小林さんについて紹介。ケイランドの社長、2級登山ガイドであるが、自称登山家ではないという。登山家より、冒険家である。クライミングはしない。山は、安全に楽に登るものという。昨年、エベレストに登頂している。昨年冬はアコンカグア、今年6月はデナリに挑戦しているが、どちらもサミットは出来ていない。鉄道、乗り物マニア。おしゃべり好き。多くの内容は、乗り物の事や昨年エベレストに登った時のAガイドへの苦情。小林さんと知り合ったのは、北村さんを通してである。私がマナスルに一緒に行くパートナーを探しているときに、マナスルに行きたい人を探している人がいるということで、西宮北口の喫茶店で会った。山の嗜好は、私とは全く違い違和感は初めから感じた。しかし、私は出来るだけ安い登山隊を探していたため、小林さんに紹介されたデンディさんの会社GLACIERに大変興味を持った。小林さんは、自分もマナスルに登りたいとの思いを持っており、仕事として行きたいとも考えていたため、お客さんを探していた。昨年秋から私はいくつかの公募隊、仲間を探してきたが、一番安い海外公募隊でも2万2千ドル。日本の公募隊については270万から300万であった。小林さんの提示してきた2万ドルは私にとっては魅力的であった。何度か会い、2万ドルでケイランドを通して、デンディさんのGLACIERにお願いする事を決めた。ただ小林さんには登山ガイドとしてではなく、お互いに自由に自己判断で登ることを条件でお願いした。デンディさんには、5月に信頼できるシェルパかどうか、EBCまで会いに行った。

 今回の公募隊については、小林さん、私、そしてジョイントで日本のAG(アドベンチャーガイズからゲスト2名(AさんとA井さん)とチームリーダー1名(S保さん)、そしてスペイン人のハビエルさん6名で行動することを聞かされる。


9月5日(木) 曇り時々雨
 朝6時半モーニング。7時過ぎると、レストランに日本人数名がくる。雰囲気を見て、昨日到着したAG隊3名と思い挨拶をする。Aさんは52才大阪在住。印刷業を営んでいたが、今回会社をたたんで参加。スキーヤーで山は全くしていない。スポーツマン、マラソンもしており体力精神力は強そう。過去にAG隊を利用しアコンカグア他、高所登山は経験している。A井さんは62才整形外科医。アコンカグア、ビンソンマシフ、他AG隊で多くの遠征に行っている。沢やで、かなりの困難な沢に行っている。チームリーダーS保さん。8000mは初めてのガイドさん。皆、良さそうな人で安心した。

7時半にホテルを出発。デンディさんと日本人隊員5名(もう一人隊員スペイン人ハビエルさんは、9月2日~歩いてサマ村に向かっている)はボダナートの御坊さんの家に行きプジャ。安全登山を祈願。その後ボダナートを観光。日本料理店でダルバートを注文。午後は、登山許可をとりに全員で観光局へ。許可書を見ると、私たち6名のほかに3名(日本人一人含む)知らない名前が入っていた。登山許可申請のみ他の個人ガイドの人が含まれているらしい。夜は、チベットレストランでモモを食べ、ホテルで翌日の出発準備を行う。

9月6日(金) 曇り時々雨

深夜から早朝にかけ大雨。5時半のホテル出発時間も雨。カトマンズ空港で天候回復を待つ。10時前にはカトマンズは雨がやむが、サマ村がガスの中とのことで出発出来ない。同じように、平岡流石ガイドと客1名も空港で待機していた。12時前にガスがはれヘリが飛ぶ。デンディさんは翌日に来るらしく、日本人5名のみヘリに乗る。12時45分にサマ村到着。厚い雲を潜り抜け、素晴らしいフライトだった。

サマ村には、今回の現地スタッフが迎えてくれる。日本語が少ししゃべれるカルジャンシェルパが通訳となる。皆、8月末から歩いてサマ村に集い、BCを設置してくれていた。スペイン人ハビエルさんとも初めて挨拶。唯一の外人。日本語は全くできず、英語は片言だが、よく遠征中私たち日本人ばかりの中で、ずっと日本食を食べ過ごしたなあと終わってからも感心する。ハビエルさん、ごはんにタップリ醤油、ふりかけをかけ、日本食は大好きと言って食べていた。サマ村のロッジに入ると、日本料理コックのニマさんがお寿司のランチを作ってくれていた。ニマさんは日本語はしゃべれないが、日本料理の腕前は一流。オフシーズンの1、2月はカトマンズの日本料理店「こてつ」で修業をしている。夕方はゴンパ(寺)まで散歩。夜からは、激しい雨が降る。カトマンズから、少しずつ軟便であったが、完全に下痢状態。

9月7日(土) 曇り時々雨

 下痢悪化、夜中トイレ通いで寝れず。部屋をトイレ横にしてもらってよかった。この下痢は、ネパール滞在中(2か月半)治ることはなかった。朝、デンディさん到着。4000mまで1.5hハイキング、天気悪く視界なしだが、お花畑が美しい。エーデルワイス群生場所もある。エーデルワイス群生地で、ハビエルさんがズボン裾をめくり「一緒」といって膝下の大きい刺青を見せられた。天気は悪く、景色はよろしくない。

9月8日(日)晴れ後雨

デンディさんと一緒にランチボックスを持って、4200mまで6.5hハイキング。8時35分出発し、15時に戻る。帰り道、現地の人しか知らないパワースポットのような岩寺によりお参りする。デンディさんは信仰深く、その寺に毎年お参りしているから11回マナスル登頂に成功していると話す。今日もお参りができたので、皆も登頂できると。岩寺は、昔々冬の雪崩で苦しめられていたサマ村であったが、ある日お坊さんがきて岩場でお経を唱えたのち、雪崩でなくなる人がいなくった、村人が寺をたてたという言い伝えがあるそうだ。夕食は、すきやき。単独の日本人男性が同じロッジに滞在。ロイヤルオーキットに手配をお願いしてきた写真家のようだ。夜は雨。夕食後、全フタッフがロッジに集まる。クライミングシェルパ6人、アシスタントクライミングシェルパ―1名、コック2名、アシスタントキッチンスタッフ1名、他スタッフ1名。

9月9日(月)晴れ後雨
 朝、ロッジから一瞬マナスルの山頂を見ることが出来る。直ぐにガスでかくれる。7時半朝食、8時50分出発、BCにむけて出発。15時50分到着。何とかレインウェアーを着ることなく天気がもつ。到着後は雨。4800MへのBCへの道は、荷揚げのロバに道を譲りながら、フンをよけながらビスタリであるく。途中、モモの美味しい休憩場所(村の人がオープンしている店)があり、1時間ほど休憩する。景色は、崩れゆく氷河に、大きな滝、沢を見ながら、渡りながらのトレッキング道。この日は、デンディさんはBCに来なかった。私達は他のスタッフと登る。昨日、一部カトマンズで出したキャラバンの荷物が届くはずだったが来ず。歩いて3時間前の位置にある村に荷物が到着してるらしいから、それを待って一緒に登ってくると言っていたが来なかった。きっと何かトラブルが起こったのだろう。今日も荷物が届かなかったのだろう。

9月10日(火)雨のち曇り

BCは、キッチンテント、シャワーテントあり。トイレテントが大きい方1つだったので、女性用ピピ(おしっこ)テントを立ててもらう。個人テントは、テント内で立つことが出来る特大テントで快適。荷物散らかしほうだい。リビングテンは、暖房器具、充電器具完備。今年のマナスルBCは、4800Mから4950Mにかけ26チーム260人登山者にそのスタッフ含め計530人が滞在すると聞かされる。私達は、いちばん低い4800Mのテン場。午後は、最初のフィクス地点まで一人で散歩。高度障害なし。4日カトマンズからキャラバンに出した登攀用具とともに、デンディさんが午後到着。テントから、一瞬C1がみえる。それにしても、毎日雨が必ず降る。ハビエルさんも9月2日カトマンズを出発してから、今まで1日も晴れたことがないという。


9月11日(水)曇り時々雨
 朝に雨が止む。8時半から4時間プジャ。安全登山のお祈りだが疲れた。長すぎである。プジャが始まる前に、一人の日本人が下山。許可を一緒にとった人らしいが、体調悪くサマ村に下りるとのこと。午後からまた雨。雪崩の音がずっとウルサイ。午後からは何もすることがない。


9月12日(木)曇り時々雨。
 8時50分、小雨のなかC1に向けて高度順応。平岡流石さんと一人のゲストも後ろに続いているがC1まで登ってこなかった。高熱が続き体調悪く、そのまま下山しカトマンズへ戻ったと後日聞く。5000m、フィックスロープで岩場を登り15分ほど歩くと、クランポンポイント。アイゼンをつけフィックスロープにちょい掛けビナをつけ、ヒドンクレパスに落ちないよう雪面をあるく。3か所、かなり思い切って飛ばなければならないクレパスあり。5600mのC1に14時20分到着。1時間ほど滞在し下山、17時BC到着。雨とみぞれに濡れて寒い。spo2は79に下がったが高度障害の自覚症状なし。デンディさんにすすめられ、この日から毎日赤ワイン1杯飲むことになる。何度も勧められるので断れなかった。「ちょっとのお酒は体にいいね」。確かに悪くはなかった。夜はずっと雨。
9月13日(金)曇りのち雨
 夜中は、下痢悪化でトイレ通いが忙しい。これも高度順応トレーニングになるかと、離れたトイレテント通いを頑張る。朝に雨がやみ、午前中は洗濯。午後はシャワーを浴びる。この日からシェルパーMTがあり、毎日リーダーのデンディさんが代理店セブンサミッツのテント場に通う。今年は、日本人14名(女性3名含)がBC入り。私、美雪さん、もう一人は日本人女性で8000m峰に一番沢山登っている渡辺さんという女性がいるらしい。どこのテントに、ロシア人の可愛い女性がいるなどの情報交換も行っている様子。どこの国も男性は…同じである。可愛い女性が大好きである。

9月14日(土)曇り時々雨(みぞれ)

深夜から朝は、トイレ通いが続く。11時10分にBC出発し、高度順応でC1に15時35分到着。ここで宿泊。自覚症状はないがSPO2は64。12日にも高度順応で歩いたルートなので歩きは問題なし。個人テントをくれたので、水つくりや夕食(五目飯、スープ、お茶)つくりを楽しむ。

9月15日(日)曇り時々雪
 8時35分過ぎにC1を出て、日本人5名は6050mまで高度順応。歩きの早いハビエルさんは荷揚げのシェルパと共にC2まで順応に行った(14時ごろC2に着く)。デンディさんと日本人隊員4名は、雪壁でユマールと懸垂の練習をしてBCに16時に戻る。Aさんは、エイト環の使い方から練習。エイト環が使えず、懸垂ができなくても登れるのである。小林さんは、C1出た所から高所障害でついて来れず5800mぐらいで一人で引き返していった。私達のC1は5600mで風の当たらないところに張っているが、多くのチームは5700mにC1を設置。数えきれないテントがあった。この日も視界はほぼない。マナスルの頂上も見えず。6050mの地点までに梯子2連結がある。渡るのがおそろしかった。

9月16日(月)雨
 下痢のトイレ通いは続く。レスト日。SPO2は86に戻る。

9月17日(火)雪
 昨日の雨が、雪にかわる。デンディさんが、知人の山本美雪さんのテント場をシェルパMTでチェックしてくれて一緒に見学。数時間後にC2から降りてくるとのこと。すでに、C2宿泊し高度順応を済ませている美雪さんが羨ましい。1週間早くBC入りしているので仕方ない。この日、小林さんはしんどいと言ってサマ村に下りて行った。サミット時に登ってくると言って、私にも休養になるから一緒に降りるよう何度も説得されたが断った。「私は元気、降りる必要ない」と。

9月18日(水)晴れ後雪。

美雪さんが遊びに来て一緒にランチ。美雪さんの隣のテントに高度順応に苦しんでいる日本人男性がいるらしい。プジャの日にサマ村へおりていった男性であった。

昨日、カルジャンシェルパと、スタッフのブッダが食材荷揚げのためにサマ村におりた。今日戻ってくる予定だった。バナナとヤクの肉が来るので夜はご馳走だとデンディさんは喜んでいたが、14時過ぎ雪で川が渡れず二人は今日は戻って来ないとのデンディさんが話す。デンディさんは嘘だ!村で遊んでいる。明日帰ってこなかったら「くび」と冗談で騒いだ。カルジャンさん、NO3の実力で日本語が3割ほど理解できる。今回は、2人で60キロの食糧を持って戻るらしい。村での息抜きも必要かと。夕方には、野口健さんチームがBCに到着。 湿った雪でずぶ濡れになって登ってきた。デンディさんとも知りあいで挨拶をする。

9月19日(木)雪
朝から雪かきが忙しい。午後は5000Mまで散歩。

9月20日(金)くもり時々雪

今年は、天候が悪い。まだ雪が多くルート工作が完了していない。C4からフィックスがのびていない。9月22日から29日は天候がやや良い、30日から悪化との天気予報。アタック日は27か28日がよい、そのためには高度順応で上り下りする日数がないとのことで、まだ6050mまでしか高度順応できていないが、そのままアタックに入ったほうがよいとの話になる。私達の荷揚げも完了していないので、出発は24日。明日から、シェルパが荷揚げを開始するとの事。

私は、体調最悪。せき込み、鼻水、頭痛もあり。しかし、今でよかったとホッとする。デンディさんは、私が毎日している朝5時すぎ寒い時間から散歩するからよくないという。午前は洗濯。午後は野口健さんチームとお茶をして時間をつぶす。野口さんから、9月初めカトマンズではテング熱が流行っていた、平岡流石さんのゲストの発熱もテング熱だったかもと聞かされる。

9月21日(金)雪
 雪の中、シェルパ5人はC2にむけて私たちのために荷揚げに向かった。私は1時間半ほど散歩と昼寝。夕方には、シェルパ5人は戻ってきた。雪は、夜中も降り続く。登攀装備と酸素を悪天候でもサミットに向けて荷揚げするシェルパに感謝である。

9月22日(土)雪のち曇り、雪

朝から除雪作業。デポ用ドームテント(モンベル)がつぶれる。午前中は荷物救出作業。周囲は、雪崩ショー。美しい。夕方は、身体がなまらないよう散歩。小林さんが、サマ村から戻ってくる。戻ってきて早々酸素を吸っている。この日、イギリス人で体調の悪い人が訪れた。A井医師がいるとの情報で診察を受けにきた。かなり悪くサマ村、カトマンズに戻っていった。デンディさんが、何かほしいものはと聞くと「ホットレモンともう一度チャンスを」と答える。悔しさが伝わる。

9月23日(日)雪のちくもり

 朝、雪がやむ。昨夜は風も強かった。1日早くシェルパ5名と無酸素登頂目指すスペイン人ハビエルさんが出発。ハビエルさんも高度順応できていないので無酸素は難しいと思うが、とりあえずチャレンジするとの事。私達は翌日出発、C2で合流しましょうと言って皆を送り出す。この日は気温があがり、雪崩がかなりテント近くにせまる勢いで、雪崩ショーが続いた。

9月24日(火)曇り時々みぞれ

アッタクにむけC1へ。湿った雪でぬれて寒い。C1につくと一瞬ツラギが見えて感動、12年前に登れなかった未踏峰である。この日も、C1は一人テントをいただいたので、自分で水つくり食事つくりを楽しむ。昨日BCを出発してC2に居るはずのハビエルさんがC1にいた。シェルパのペースで歩きバテてしまったらしい。C1でステイ。無酸素登頂は諦めたとの事。

9月25日(水)曇

8時前にC1出発。途中、野口健さんチーム2名と、抜きつ抜かれつで13時25分にC2に到着。今回初めての高度6400M、高所障害はない。多くの人はC1からC2が一番しんどく、マナスル登山の核心という。C2到着後、まだテントが設置できていなかったので手伝う。他のメンバーは1時間遅れで到着。要らないと言ったが、夜寝るときに酸素を使用するように指示あり。同じテントの小林さんが調整してくれるが、翌朝起きると故障していたのか酸素が全く出ていなかった。結果酸素なしで一夜過ごせたので、私は満足。

9月26日(木)曇り

400M上のC3 6800mへ。酸素なしで歩くが厳しい。2人のメンバーは酸素をつけて歩く。昨日同様野口健さんチームと抜きつぬかれつ。C3に14時すぎに到着するが、全員に抜かれてしまい最後の到着。梯子も、このルートにも2か所あり恐ろしかった。疲れた。テントに入り、私は数時間後に動ける自信がないといったとき、小林さんが怒った。「C2から何度も酸素を吸って歩くようにアドバイスをしたけど、拒否をしたのは野木さんだ。もう歩けないと言うのはおかしい。僕のアドバイスを聞かなかったからだ。野木さんが酸素を吸わずにここまでくると決めたのだから、頑張らないと」と言われた。その通りである。野口さんチームは、C3に本日ステイとのことだが、天候悪化が早まっているとのことで、私達は、仮眠3時間ほどで食事、準備をして19時に出発アッタクするとのことになる。14時過ぎについてお茶をのみ、ダウンスーツなど高所用の服装に着替え、15時に横になる。ここから酸素を使用。しっかり酸素が出ているのを確認してもらい3時間ほど横になる。もちろん寝れない。身体を横にしているだけ。18時過ぎからラーメンを食べ、出発準備を行い19時50分にC3出発。準備に2時間かかった。C3からC4もひたすらユマール。時折雪壁あり。3時間ほど歩くと、急にペースがダウン、全員にぬかされ動けなくなる。シェルパが酸素を確認すると、全く出ていないとの事。マスクが壊れたようで、マスク交換すると急に身体が動くようになる。高所登山、すべては酸素次第。酸素の大切さがよくわかる。酸素講習の時にデンディさんが言っていた。「酸素をつけると踊れるね。身体動かなくなったときは、マスクかボンベにトラブルが有る可能性があるので、シェルパに言うように」と。C4手前では風がきつくなり、先頭はラッセル状態。まだかまだかと思いながら、やっとC4に到着したのが2時過ぎ。美雪さんに声をかけられるが返事する元気なし。もちろん私たちが入るテントはないので、寒い外で酸素ボンベを交換、暖かいものを少し飲んで出発。テルモスの湯はダウンスーツの中に入れて、いつでも出せるようにしている。私の専属ガイドのカルジャンさんが、C4前後が一番風がきつい、少し上がると風が弱まるから早く上に行こうというので、先に出発する。確かに1時間ほど歩くと風が弱まった。そこから山頂に向けてひたすら雪上を歩く、5時過ぎから夜が明けはじめる。月が下に見えるのがよい。途中1回酸素ボンベ交換をしてもらう。酸素はしっかりあるはずだが、ほとんど飲食せずでバテタのか身体が動かない。山頂手前で、またまた皆に抜かされてしまい、メンバー最後での登頂となる。おそらくメンバー先頭とは1時間半ほど遅れてのサミット9時40分到着。毎年行けるかどうかの本当の山頂も踏むことができた。本当の山頂の手前に公的に認められた山頂広場がある。私はここで満足だったので、先に行こうかと言われた時、この先はもういかなくてよいといったのだが、シェルパに「言っても良いよ」と言われスリングをシェルパのハーネスと直に繋げられ、散歩を嫌がるペットの犬のように引っ張られ本当の山頂に連れて行かれた。行っても良いでなくて、行きたくないのだがと思いながら。この時間は、すでにガスが出ており、景色は楽しむことができなかった。山々は見えなかった。飛行機からみる景色同様。記念写真をとって下山開始。デンディさん、小林さん、A井さんはBCまで、私はC3まで下山。15時にC3到着。C2からは30時間長かった。仮眠とったC3からは19時間弱、トイレにもいかず何も食べず頑張った。C3に戻った時、ハビエルさんもテントでぐったりしていた。行動中ビスケット2枚だけ食べたと言っていた。下山時は1名、はしごから足を踏み外し・・・、また酸素がなくなり動けなくなったものあり・・・、渋滞で懸垂10人まち・・・、等々あり。私は、C3手前で酸素がなくなり、新しい酸素出そうかといわれ、下りだから要りませんと強がったが、1ピッチ懸垂すると・・・ダメダメ酸素出してくださいとお願いして酸素を吸ってC3までもどった。
9月28日(土)くもり時々雪
 10時に出発。ダウンスーツは脱いで通常の冬山服装で歩く。野口健さんチーム、強風でサミットできずとのことでC4過ぎたところから引き返してきた。BCへの下山も長かった。はしごの下りはさらに恐ろしかった。C2、C1で休憩しながら、デンディさんは前日下山しているので、AG隊のS保さんとAさんと3人で下山。時折追いついてくる重たい荷を背負っているシェルパと合流しながら。BCには17時に到着。C1まで酸素を吸いながら歩いた。BCダイニングテントでサミットケーキでお祝いし、そして、山から早く離れたいという小林さんと、付き添いでデンディさんが下山していく。

9月29日(日)雪のち雨

 午前中はシャワーを浴びる。レスト日。翌日の下山準備を行う。シェルパは、荷下げの為C2までピストンで登っている。野口健さんチームが夕食(日本食)を食べにバレンタインを1本持って来訪。23時まで楽しく話と食事をする。

9月30日(月)くもり

 コックのニマさんとメンバー6名でサマ村へ下山。10時過ぎに出発。途中、モモを現地人CAFÉ?で食べる。2時間半ほどで昼過ぎには到着。

10月1日(火)くもり

 サマ村でレスト。BCからの荷物をまつ。野口健さんの建てた学校まで散歩。夜はダンスパーティ。踊ったら明日はヘリでカトマンズ、踊らなければ歩いてラルキャラパスで歩いて下山と言いながら、いやいや私やハビエルさんは踊らされた。ロッジにボーランド女性もいて一緒に踊ったが、山やではなく3年前の棒高跳びのオリンピック選手のポーランド人女性だった。マナスルを登ったとのこと。そして、ボーナスサミットを渡す。デンディさんからはスタッフ300ドル、シェルパ800ドルでと言われたが、私はシェルパ1000ドルで合わせて1300ドル払った。ハビエルさんは、1100ドル。AG隊ゲスト二人は1500ドルとチームリーダーに言われ払ったらしい。

10月2日(水)くもり

 ヘリでカトマンズへ。8時から待機し、悪天候で飛行機が飛んだのは12時過ぎ。疲れた。FUJIホテルにはいりのんびり過ごす。

目次