日 程:2023年3月21-24日
メンバー:CL T石(会外)、穴井(報告)
時間記録
3/21(火)
9:30 Chamonix駅 10:30 Montenvers 駅 11:30 Mer de Glace氷河 18:30北壁基部
3/22(水)
4:00北壁基部 5:30 Croz spur(slovenian-start)取付き 13:00 Alei?ルート間違い1ピッチ下降 17:00核心M6+~M7ピッチ 19:00 ビバークポイント
3/23(木)-24(金)
5:00 ビバークポイント 8:30 Hidden gully 10:00 Notch 15:30 FinalTower基部 17:00 最終ピッチ 18:00 Croz Spur頂稜 19:00 Whymper稜下降 3:30氷河トラバース 4:30 氷河セラック上停滞 6:30 行動再開 7:30 Rocher du Reposoir稜下降 9:00 Planpincieux氷河 11:00 Boccalatte小屋 17:30 小さな教会
山を始めたばかりの7年前の夏、初めて訪れたシャモニーでミディの展望台からグランドジョラスの北壁を眺めた。遠くからでも一目でそれと分かる威容を備えていて、当時の自分にはとても登る対象として捉えることはできなかったように記憶している。
昨年の3月、アイガーに続いてグランドジョラスにトライする機会を得たが、ヨーロッパは近年稀にみる寡雪の影響からか大きく開いたクレバスを右往左往し、ろくに壁に取り付くこともできないまま、北壁の中でも左端のPetit Macintyreを1本登るのがやっとだった。ここ数年は暖冬の影響から多くのクライマーは1月~2月に登っているようで3月に入ると記録も少なくなるようだった。メールドグラス氷河をスキーで下りながら、後ろ髪を引かれる思いでシャモニーをあとにした。
帰国後は転勤や環境の変化もあり、当分はシャモニーに行くこともできないと思っていたのだが、年も暮れに近づいてきた頃、T石さんから今年も3月にリベンジしないかと心躍る連絡が入った。大阪に引っ越してからというもの、慣れない仕事に忙殺されていて山に入る頻度は大幅に減っていたが、幸か不幸か有給消化は著しく進んでおらず、年度末に向けて積み上がっていた。このままだと有給消化目標を達成できないので、纏めて3月に取れないかと思い切って相談し、理解ある職場のおかげで4日間の休みが取れ、土日祝を繋げて3/18~26の日程で9日間を確保することができた。休みが取れると決まると、冬山に入っておかねばと関西から車を走らせて、錫杖や米子、御在所、宝剣に通い、少しは感覚を取り戻すことができた。
T石さんはこの1年ほど人生2回目の夏休み中らしく、昨秋にはヒマラヤ遠征に行っていたそうだ。今回も1週間早くにシャモニー入り、もう一人のパートナーI田くんと先にスキー等で足慣らしをしておくとのこと。昨年に続き、出発前から弾丸ツアーの予感がしてならなかったが、慌ただしく詰め込んだ荷物を抱えて金曜日の夜の関空に向かった。
Chamonixの街の広場からモンブラン
3月18日(土)~20(月)
ドバイで乗り換え、15時間ほどのフライトを経て、ジュネーブ空港へ。飛行機では何人か見かけたが、地上に降りると誰ひとりマスクをしている人はいない。まだまだアジア人は少ないが3月ということもあり、シャモニー行きのバスはスキーバッグを抱えた欧米人で大混雑していた。昼過ぎのバスで2時間ほどかけてシャモニーへ向かう。今年も件の暖冬で雪は少ないはずであったが、ちょうど1週間前から強い寒波が入っているようで見慣れたモンブラン山群が近づくにつれて山は真っ白く冬山に逆戻りしているようだった。
シャモニー駅に到着しT石さんのアパートに向かうが、LINEのやり取りが既読にならない。ドリューに入っていて夕方には降りてくると聞いていたので、暫くカフェで時間を潰していると夕食の時間になった頃、携帯にLINEが入る。待ちぼうけを食らったがこれでシャワーでも浴びてゆっくりできそうだと携帯を開くと、「ごめんなさい。まだ下降に時間がかかっていて翌朝になりそうです」とのこと。
まさか初日からシャモニーの街中でビバークする羽目になるとは思ってもみなかった。そんなには広くないシャモニーの街中をスーツケースに105Lのザックを抱えてさまよう。目に入ったホテルに数軒飛び込んでみたが、どこも満室とのこと。土曜の夜とあって街中にはスキーヤーや観光客が遅くまでバーやレストランで盛り上がっていた。仕方なくバーでウィスキーを引っ掛けて時間を潰してみるが、深夜を回り閉店と共に店から追い出されてしまう。ひとまず野宿できそうなところを探し、スネルスポーツの傍にあるコインランドリーのベンチで横になったが居心地が悪く3時間が限界だった。その後はアパートの非常階段の踊り場に移動。朝までうたた寝していると翌朝7時頃にくたくたになってドリューを満喫してきたT石さん、I田くんとようやく合流できた。
19日(日)のこの日は部屋に入って彼らのレストや自分の荷物を整理しながらうたた寝したりして、ゆっくり過ごすことになった。夜になり天気予報を確認すると週後半にかけて結構な荒れ模様らしく、チャンスは月火、天気が持っても22日の水曜までといった感じ。明日の20日(月)からアプローチしたほうが良いかと話し合ったが、この日も山では結構積雪があったのと、もう一日レストに充てたいとの意向もあり、21日の火曜にアプローチしようということになった。ジョラスの北壁はメールドグラス氷河のどん詰まりなので、壁に辿り着くまでシャモニーから出ている登山鉄道でモンタンヴェールの展望台にあがり、そこから氷河歩きで1日かかってしまうのだ。
どっかのカフェ
翌日の20日(月)はスネルスポーツに向かい、アプローチに使うスノーシューをレンタルしシャモニーの街中でのんびりして過ごした。この日は快晴でモンブランもよく眺めることができた。
計画としては21日に壁までアプローチし、テント、スノーシューをデポし基部で一泊、翌朝から北壁正面の状態のよい壁を登り、1ビバークを挟んでイタリア側に下山。クールマイユールからバスでシャモニーに戻り、別途スキーでデポした荷物を回収することとした。ルートはドリューのコンディションが結構悪かったとのこと、週後半の悪天を考慮して、北壁の初登ルートであるCroz稜を登ることとした。アイスパートもそれなり多いようで、ガンガン飛ばしながらビシッと張ったベルクラを辿れればきっと充実した登攀になると期待を膨らませたのだったが。
3月21日(火)
8時半の始発に合わせて登山鉄道に向かう。モンタンヴェールの展望台からはT石さんが先日登ってきたドリューの北壁がよい眺めでお出迎えしてくれる。昨年と同じようにメール ド グラス氷河まで長い階段を降りて、氷河の上でスノーシューを履きトボトボと歩いていく。この日もアプローチだけなのだが、好天の無駄遣いのように天気が良い。内心気持ちは晴れなかったが、昨年、この場所で初めてレンタルスキーを履き、酷い靴擦れのせいで血まみれになりながらアプローチしたことと比べると随分快適であった。この日も大勢のスキーツアー客がミディ方面から滑ってきて、氷河を徒歩で歩いているのは我々のみであった。
メールドグラス氷河のアプローチ
昼前から歩き始めて、ジョラスの北壁がよく見えるレショ小屋の基部に15時頃に到着。大休止しながら壁を眺めてみる。壁の取り付きから頂稜までの標高差は1200mくらいであろうか、大きいので感覚が麻痺しそうになる。今立っているところから壁の基部まではもうひと登り。クレバスが幾つか開いた300mほどの雪壁登りが続くが、午後になり雪も緩んできた。T石さんがぐんぐんと進んでいくが、ここのところ山に入っていなかったせいか早くも息があがってしまい、ついていくのがしんどかった。時折、T石さんから「あんまり辛いようならここで降りる?」とはっぱをかけられ、攣りそうな足を一歩ずつ進めていると体が慣れてきて、エンジンが掛かってくるのがよく分かった。昨年、レショ小屋から早朝に暗闇の中でアプローチして失敗したクレバスの迷路はあっけなく攻略でき、下から3時間ほどで取り付きまでのトレースをつけることができた。壁に近すぎると落石が怖いので少し離れた位置に整地してテントを張ることにする。氷河の上部には真ん中に穴の空いたビル10階建てくらいの大きなメガネ状セラックが不気味に聳えており、少しのあいだ逡巡したが、流石にここまでは落ちてこないよなと思い直してこの日はテントに潜りこんだ。
3月22日(水)
取り付きの1ピッチ目
いよいよ登攀日、5時に起きて支度し、スノーシュー、ポールや予備のガス類をデポしてテントを後にする。壁が大きくて取り付きが本当に合っているのか少し疑問であったが、空が薄っすら明るくなってきたころにまぁ間違いないよねと2人で確認し、ロープを出すことにした。T石さんリードの1ピッチ目は壁際にすっぽり開いたシュルントを寝起きの体でぎこちなく越え、その後はしっかりした氷を登っていく。持ってきたスクリュー8本はバッチリ使えているようだ。40mほどで傾斜が変わるところで一旦切り、リードを交代。2ピッチ目は徐々に傾斜が増してくる氷を40mほど伸ばし、最後は細く垂れた幅4mほどの氷を登った。振り返るとモルゲンロートがいい感じでテンションが上がる。Croz稜はアイス主体のルートのはずだがこのピッチ以降、スクリューの出番が無いことになるとはこの時、思ってもみなかった。
3ピッチ目からは目の前に大きく開けたクーロアールを登っていく。トポによるとすぐ左に切れ込むランペに間違って入らないようにと注意書きがあり、それらしきランペを同定したつもりだったが、そのランペが正解ルートだったようだ。以降、数ピッチは本来のルートより右寄りに逸れてA-leiというルートを登ったかもしれない。しかし正解のランペは雪や氷が殆ど無く、とても登れそうには見えなかった。
前半の方のクーロアール。雪が無くAlei?ルート寄りに登った
その後、数ピッチ、雪壁のクーロアールを登っていくと、正面が塞がっていて案の定、行き詰ってしまった。傾斜も増してきていやな感じ。そろそろCrozの稜上に近づいていく高度のはずだが、稜線はずっと左に見えていて壁のど真ん中にいるようだ。気づくと14時を回っていて焦燥感に駆られる。2ピッチほど悪い垂壁を行ったり来たりするがどうもよろしくない。どうもルートを外しているようだ。60mで一発懸垂を交えつつ、左に見える支尾根を越えることにした。支尾根を越えながら降りてみると細いクーロアールの先にフィンガー~オフフィズサイズのクラックが続いている。このピッチをリードさせてもらうが、氷が全くないクラックに先週降ったスカ雪が乗っていて悪かった。除雪をしながらM5+くらいのピッチを50m近く伸ばして、なんとか超えるとようやく写真で見覚えある核心ピッチへと続くクーロアールに合流できた。T石さんの的確な判断に助けられてルートに復帰することができた。
クーロアールのどん詰まりで一度ピッチを切り、左側に続く垂直の凹角上を35mほど、T石さんに伸ばしてもらう、スカ雪が厄介で除雪に時間を取られているようだ。フォローで続くとしっかりとした終了点(久々の人工物に安心)があった。時間はかかったが、正しいルートに戻れたことで一安心する。終了点に寄りかかり、トポでルートを確かめていると後ろでドカンと音がした。振り返るとあのメガネ状セラックが根元から崩壊しているではないか、その後、巨大な氷塊はレショ小屋の手前くらいまで轟音とともに雪崩を引き起こしていった。しばらく2人で目を合わせて呆然とする。遠くから眺めるとスローモーションを見ているようだったが、実際は凄いスピードなのだろう。我々のテントは綺麗さっぱり埋まってしまったようで、図らずしも回収のミッションはデポした2人の装備類、しめて15万円弱と共にメール ド グラス氷河に埋まって消え去っていった。
結構悪かった核心ピッチ
時計に目をやると17時を回っており、ビバークポイントまでどれくらいあるかも分からない。目の前の核心ピッチを前にカムを受け取り、登る準備を整える。出だしの6mほどはフェース。その後は左にトラバースが続いているようだが、ビレイ地点からは良く見えない。トポによれば左にトラバースしたカンテの先にはベルクラが垂れていて快適だそうだ。2mほど登るがプロテクションが際どい。浅いクラックにエイリアンの黒と極小ナッツを入れ、覚悟を決めてボルダリーなムーブでフェースを攀じあがる。外傾したスタンスにじわりと体重をかけて、左にトラバース、カンテ状の向こう側に回り込み、上を見上げると被った凹角状の脇にツルツルのスラブが走っていて、閉口してしまった。スラブにはまだら模様の氷が所々申し訳なさそうに張り付いて、ベルクラなんて代物ではなかった。
日が傾いているので一旦切って空身なるか迷うが先を急がないといけないので、そのままリードでロープを伸ばすことにする。傾斜の強い凹角状を突っ張りながらトルキングとアイゼンスメアで少しずつロープを伸ばす。体の向きは限りなく横向きにして、フリークライミングのようなムーブだ。スラブに時折張り付いているまだら模様の氷はあっけなく崩れ去り、使い物にならない。スラブにスメアしたアイゼンが何回も抜けかかるが、何とか耐えて30mくらい登るとようやく凹角状の上に立つことができた。体感でM7くらいはあっただろうか。いいクライミングができた。喉がカラカラだが、ロープを引き上げてT石さんをビレイした。上がってきたT石さんから「よく登ったね!ナイス!」と労ってもらった。しかし頭上にはもう15mほどのスラブのブランクセクションがあり、ビレイしながらどう登るべきかと気が気でなかった。
見た目以上に悪い2ピッチ目
ここでも2人で話合い、振り子トラバースや右のカンテまで際どいフェースは登れないかなどあれこれ案を出すが、どれも厳しそう。T石さんはとりあえず目の前に伸びる5mほどのピナクル状を直上してみるという。取り付くとプロテクションが思ったより際どいらしく、荷重をかけながら慎重に登っていくが、上の雪壁まで残り10mほどで「選手交代!」とコールが掛かり降りてきた。いよいよ辺りが暗くなってくる。選手交代しT石さんが決めた最後のプロテクションまで攀じあがる。ここまでも確かに悪い。ピナクル状の先端に立ち上がってみると、そこから先は確かに垂壁スラブとなっており7~8mほどはノープロになりそうだ。ここでもザックを途中で置いて空身になろうか迷ったが、新調したばかりのザックを荷揚げする気にもなれなかったので、背負って登ることにした。所々現れるカチにピックを掛けてじわじわと攀じっていく。目を凝らすとスタンスとホールドが奇跡的に繋がっていて、ランナウトを忘れて楽しめた。ここ数年、冬の御在所で遊んだおいた甲斐があった。
すっかり暗くなりヘッデンを出してT石さんが上がってくるのを待つ。ようやく雪面に乗りあがり、核心ピッチは突破したようだった。そこから4ピッチほど伸ばすと傾斜の強い雪面の途中に洞窟状のボルダーがあり、ルート中、唯一のビバークポイントを見つけることができた。雪が詰まっていたので掻き出して整地をすると、2人は横になれるスペースが出来た。ロープを着けたまま雪を溶かして夕食を作り、シュラフを被って横になった。夜半から風が吹き始め、天気予報通り明日からの悪天の予感。
3月23日(木)
バタバタと音がして5時に目を覚ます。風に叩かれて寒かったので夜半にシェルトを張ったのだが、気がつくと固定に使ったT石さんのボールナッツが吹き飛んでいてツェルトが音を立てていたのだった。「すみません。やっちまいました」と謝ると仕方ないよと許してくれたが、ツェルトを畳みながら足元と目をやるとボールナッツは雪壁に突き刺さって止まっていた。
外に目をやるとガスが濃い。時折、強風でガスが取れ視界が効くといった感じだ。そそくさと荷造りを済ませて洞窟を後にする。まずは右に回り込むように雪面を3ピッチ伸ばすと上部に続くHidden gullyが左から明瞭に切れ込んでいる。ここを3ピッチかけて抜けるとNotchと呼ばれるCroz稜のスカイラインに飛び出した。終了点は稜線の向こうから強い風が吹きつけているようで、ビレイしていたT石さんが凍えている。
急いでカムを受け取り、そのままエビの尻尾がびっしりと張り付いた少しテクニカルなカンテフェースを登る。途中ナイフリッジのようになっており、ガスが切れると遥か左にウォーカー稜を確認できた。高度感が抜群でこのルートのハイライトであった。2ピッチほどフェースを進むとスラブに雪が乗っただけの気持ちの悪い雪面に出る。どうやらFinal Towerの基部らしき所に達したようだ。ここまでくるとガスの切れ間にグランドジョラスの主稜線を望むことができた。稜線まであと200mほど、4~5ピッチほどであろうか。いよいよ佳境に入ってきた。ルートは右のアイスガリー(氷が無ければM7はあるとのこと!)か、今は登られていない左のボロ壁らしい。
ボロ壁トラバース
右のガリーを進んだパーティが氷がなくて行き詰まりヘリレスキューになった記録をいくつか見たので、このコンディションでは尚更厳しいかなと左のボロ壁を登ることする。非常に脆い2ピッチを登ると一度ダウンクライムを交えた30mほどのトラバースとなり、ようやく主稜線へと続く最後のフェースに移ることができた。ここには氷が少し垂れていて、前日の取り付き以来のスクリューを取り出し、ビレイができたが、トラバース中も足元の岩がボロボロと崩れ去り、気が抜けないピッチであった。
フォローのT石さんを迎えて上を見上げる。後2ピッチくらいであろうか。時刻は15時を回り、いよいよ雪が舞い始めてきた。T石さんと「これは昨年のアイガーと同じオチですね」と冗談を飛ばし合う。アイガーも最後は吹雪かれて結構苦労したのだった。急いで稜線に抜け、イタリア側への下降路であるウィンパー稜を明るいうちに眺めておきたいところだが、目の前のフェースもボロボロの垂壁でそう簡単ではなさそうだ。本来ならベルクラが垂れていて快適なのかもしれない。T石さんにリードを託しビレイに移る。スカ雪の詰まったクラックを少しずつ掃除しながらボロ壁を登っていくがとにかく浮石や剥離が多く、時間がかかる様子。15m弱伸ばした所でどうも悪いようで、一旦、降りてくることになった。聞くとボロボロで絶悪とのこと。
空身で行ってみるよとザックを託されるが、荷揚げの時間も考えると明るいうちに稜線に抜けられないのではと不安を覚え、リード交代を申し出ることにした。ありったけのカムとナッツを受け取り離陸。確かに剥離がひどく、プロテクションの取りづらさに閉口したくなるが、だましながら伸ばしていくと先人の残置ハーケンが出てきて勇気づけられる。途中からスノーシャワーがひっきりなしに降り始め、目を開けるのが辛くなった。やっぱりアルパインは楽しい。40m伸ばした地点で少し被ったハング気味のチムニーをフリーで超えると、ようやくあと1ピッチで稜線に抜けれることを確認できた。T石さんをビレイし終え、「いよいよあと1ピッチみたいですね」とカムを渡そうとすると「ここまで頑張ってくれたから、最後のおいしいところは託したよ」と快く譲ってもらいウイニングランを駆け上がる。最後のボロ壁を登り切ると反対側はスパッと切れていて4,110mのCroz稜の頂上すぐに傍にトップアウトしたようだ。T石さんを終了点に迎えたあと少しの時間であったがお互いを労い、写真を取りあった。
ウィンパー稜に目をやるとまるで八ツ峰のようないかつい稜線がイタリア側に向かって落ちこんでいて、途中からガスで見えなくなっている。後は下降を残すのみだが、日が暮れ始め、吹雪いているので気は重かった。先を急がないと。
ロープを畳み、ウィンパーの頂上までグランドジョラスの主稜線をトラバースし、そこからはウィンパーの稜線を忠実に下降していく。悪天が迫っているのでとにかく降りれるところまで降りることにした。グランドジョラスのノーマルルートとして有名な登路なので、支点がバッチリと思っていたがアテは大きく外れてしまい、何故か殆ど支点が無い。登路は忠実に稜線を辿らないのであろうか。とにかく踏み外さないよう確実に降りることに集中して暗闇のウィンパー稜を懸垂を交えながら降りていく。途中、何回も降りる方向を確認しながら下に降り、本当にロープを抜いてよいか覚悟を決めるのはしんどい作業であった(明るい時に降りれれば普通に下降できると思う)。捨て縄15本近く消化し500mほど下降しただろうか、27時過ぎにようやくトポに記述のあったボルトアンカーが目に入った。ボルトアンカーを頼りに更に3ピッチで一つ目の氷河に降り立つ。 ここからはセラックの隙間を縫って、氷河を300mほどトラバースし、対岸のRocher稜に移るのだ。氷河をヘッデンで照らしながらトラバースを開始するが、暗闇ではどうも検討がつかない。ふと見上げると30mくらいの高さセラックが頭上に覆いかぶさっていて、ヤバいところにいるなぁと気づく。思わず肝を冷やして引き返した。その後は上から回りこんだり、色々やってみるが、どうも対岸の稜線に移れそうなところが見当たらない。T石さんがひと眠り入れて明るくなるまで待ってみようかと声を掛けてくれる。冷静な判断で焦る自分を落ち着かせてくれ、疲労と眠気もあるので氷河上の平なところで少し休むことにした。
29時過ぎにツェルトを被り、ガスを焚いて水を飲む。風が強いので足と背中で飛ばないように抑えていると、心地よくなってきて、2人とも眠ってしまった。
3月24日(金)
「ゴーッ!」という上からの轟音と共にT石さんが飛び起き、自分も目を覚ます。上部のセラックが崩壊してきたらアウトだなと思ったが、どうやら飛行機が通り過ぎたようだった。2時間ほどぐっすり眠れただろうか。薄っすら明るくなっている。ツェルトを捲るとガスが濃かったが、少しガスが切れた瞬間にセラック帯を見渡すことができた。どうも2時間前に引き返した際どいセラックの下をそのまま通過すればよかったのだ。荷造りを済ませて行動食のチョコバーを食べる。気づけば行動食には2日間、全然手を付けていなかった。氷河を渡り、Rocher稜に移ると今度は滝沢リッジのようなナイフリッジを馬乗りを交えてひたすら下降していく。夜半に結構な雪が降ったようで膝くらいの下りラッセルとなる。300m近く標高を下げると風が収まったのが救いであった。最後は切れたフェースを懸垂し、3,400m地点でPlanpincieux氷河に降りるとようやく安心できた。少し休憩を取り、ここからは広い氷河の雪原をクレバスに落ちても大丈夫なようにロープを繋いで降りていく。10時を回り日が高くなると雪が緩んで腰ラッセルとなった。これであと2000m降りるかと思うと気が遠くなる作業であった。
Planpincieux氷河から支尾根に移った後は、有名なボカラッテ小屋目掛けて広い尾根を降りていく。途中からガスが濃くなり酷いホワイトアウト。マジで方向が分からない。思わず携帯のGPSを取り出して方位を確認しながら降りることにする。明日の今頃にはジュネーブ空港の出発ゲートにいないといけないのだ。ここで立ち止まっている時間はない。酷いホワイトアウトの中、延々とラッセルを続けていると2,800m地点で小屋に出くわす。雪で埋まりきっていて、屋根から小屋の脇に飛び降りる。断崖に張り付くように作られており中に入りたかったが除雪が大変なので諦めた。小屋の裏から鉄はしごと途切れとぎれのFIXロープを辿って100mほどクライムダウンすると、遠く下方にイタリア側の谷と集落が確認できた。これで無事、月曜から予定通り出社できそうだ。
途中からガスは雨に変わりずぶ濡れの中、無言の腰ラッセルでもう1,000m高度を下げる。雪が抜けるのでズボっと足を取られて何度も何度も転びながら、降りていく。最後はデブリの後を辿ると1,700mくらいからカラマツの樹林の中にハイキング道が出てきた。もうダブルブーツからパンツもザックの中まで何もかもずぶ濡れだ。雨の中、会話も途絶えてしまい黙々と降りていく。濡れ鼠になりながら、樹林帯を抜けると17時過ぎに小説で読んだ小さな教会に辿りついた。最終のバスは30分後である。2人で握手を交わしアイゼンをザックに仕舞うとバス停までの道のりを急いだ。
赤ラインがCrozSpur(slovenian-start)、実際には下部はより右側を辿った。
今回の山行は壁のコンディションと天気が良いスパイスとなり、良いパートナーと充実の山行にすることができたように思う。未知への冒険性といった点では限られるヨーロッパアルプスではあるが、ウィークエンドクライマーでも1週間あれば1本か2本登って楽しめるアルプスの良さと共に冬季アルパインクライミングの楽しさを改めて再認識することができた。昨年のリベンジに誘って頂いたT石さんに大変感謝したい。