冬山合宿 槍ヶ岳

ハイマツの雪壁を登る

日時: 2004年12月29日~12月31日
12月29日
新穂高を7時に出発し槍平→中崎稜線を目指します。少し早めに歩いたのか、秋田さんに怒られながらも12時前には槍平に着きます。

槍平へ向かう

前回行った時には槍平から中崎稜線まででは大変なラッセルでしたが、入山者が多いのかトレースがあり、ありがたい気持ちで登ります。登りはきついですが雪がないので大変楽です。このころから河嶋君の顔色が青白く、足も大変重そうで今後のコースをどのようにするか考えながら登ります。

中崎尾根へ向かう

中崎尾根稜線から30分ほど西鎌尾根に向かって登ったところによく整地されたテンバ跡があり、そこでテントを張ることとします。
テント整地中も河嶋君は立っているだけでつらそうで嘔吐もあったので、全装備を持って槍ヶ岳肩の小屋に行く30日の予定をあきらめ、荷物を切り詰め翌日は槍ヶ岳までのピストンにすることをみなに告げます。テント場整地中もずっと雪は降り続け、みるみるうちに、せっかくつけたトレース跡が消えていきます。よく湿った水分の多い雪です。テントの中はたちまち蒸気で水浸しとなり2年前の鹿島赤岩尾根を思い出させます。
まっちゃんのヤッケが10年ものだったことと座っていた位置が悪かったためパンツまで濡れてしまい大変不機嫌そうです。いろいろあった1日が終わり19時過ぎには寝ることとします。まっちゃんはそれから2時間以上乾かしていたそうです。(村上は熟睡していたのであとで聞いた話ですが…)

[コースタイム]
新穂高駐車場(7:15)~穂高平小屋(8:20)~白出小屋(9:20)~滝谷避難小屋(10:50)~槍平小屋(11:45)~C2190m(12:40)~奥丸山分岐(13:35)~BP(2325m) (14:00)

12月30日
朝6時には出発しようと4時半に起きましたが、結局6時半出発となります。新人さんにはきついですが朝は少しでも早く出られるようまだまだ、修行が必要かと感じます。しばらく歩くと6時前に出発した先行パーティ(埼玉熊谷の山岳会)に追いつき追い越します。雪はひざまであり部分的には腰から胸まであります。主にまっちゃんと村上の2人でラッセルします。自分で道を切り開いていくのは冬山の醍醐味のひとつです。

ラッセル

風も少し強くなってきており西鎌尾根上部のガレ場を越え千丈沢乗越に着きます。本日のコースタイムは夏のコースタイムで9時間半であり、村上はリーダーとして西鎌尾根をひとつの目安としておりここに10時半までつかない場合はあきらめようと考えておりましたが、10時25分ごろに着いており大変悩みます。

撤退か前進か?監督の秋田さんと相談しますが、河嶋君はこれ以上進むと最悪の場合降りられなくなる可能性があること、二つ玉低気圧が接近しつつあるとの情報がありビバークは避けるべきだとの判断から撤退を決定します。下山組の秋田さん+河嶋君と登山続行組のまっちゃん+柳瀬さん+村上の3人に隊を2つに分ける案も出ましたが、やはり安易にパーティを2つにわけるべきではないと判断いたしました。

下山にかかる

我々のラッセル跡を踏みながら登ってきた埼玉の会も下山するとの事です。テント場まで戻りテントを回収したあと、槍平まで降ります。

[コースタイム]
BP(6:30)~P2388m(8:20)~C2590m(9:40)アイゼン装着~千丈沢乗越(10:20~10:30)~C2490m(11:10)~BP(12:25~13:00)~槍平小屋(14:10)

12月31日
槍平から新穂高まで降ります。どんどん天気は崩れ大雪です。帰りの車の中のラジオで日本中が大雪で混乱状態になっていることが分かり下山を決めたことがよかったのではないかと感じます。

林道を下る

[コースタイム]
槍平小屋(7:45)~滝谷避難小屋(8:20)~白出小屋(9:20)~穂高平小屋(10:05)~新穂高駐車場(11:00)

感想及び反省点
今回5人の総合力から考えて気力・体力・技術ともに冬の北アルプスを縦走するには、まだより努力・経験が必要だなと感じました。トレースに頼らずルートを探し道を切り開く体力とやはり参加するからには登頂を狙う気力は最低限必要です。我々は登山のプロではないのですが、そこまで要求されるのが「厳冬期の北アルプス」ではないかと思います。

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